<つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日(きのふけふ)とは思はざりしを>。誰でも最後には死出の旅路につくと聞いてはいたが、昨日や今日というほど差し迫っているとは思わなかったことよ。平安前期の歌人で六歌仙の一人、在原業平の臨終の際の歌だ。死を前に、人生を振り返るのは、むしろ幸せなことかもしれない

 6434人が亡くなった阪神大震災から20年の昨日、遺族らは鎮魂の祈りをささげた。父よ母よ妻よ子よ友よ、帰らぬ人を思う遺族らの頬を涙が伝った。何年たとうが、あきらめも区切りもつかない不慮の死である。「それでも母の分も強く生きていく」。そんな遺族の言葉に、私たちも励まされた

 命の尊さが身に染みる新春である。病気で心臓移植を待っていた6歳に満たない女児が脳死となり、肺などの臓器が8歳の女児ら4人に移植された。移植を待つ子どもたちに「少しでも光をともせたら」という両親の決断はあまりにも尊い

 一方で、人の心を真っ暗にする教育者も現れた。大阪府の中学の校長は、いじめを受けた生徒の母親から加害者側との話し合いに参加を求められ、「死んだら出る」と答えた

 「教育の危機は教育の危機ではなく、生命の危機なのだ」とは、百年も前のフランスの詩人・思想家ペギーの言葉だ。ご存じなければ、校長室に掲げてはいかがか。