15歳の子どもを、言葉も分からない異国の、しかも勝負の世界へ送り出す勇気を、どれだけの親が持っているだろう。第一、辛抱できる子がどれほどいることか。それ一つとっても、強くて当たり前、そんな気がする
 
 来日時は体重62キロ。入門先がなく、帰国直前、宮城野親方に引き取られた。褒めて育てる、とは真逆。稽古は厳しく、1日3回泣いた。耐えた。それから、15年になる
 
 大相撲初場所13日目、13連勝で5場所連続33度目、「昭和の大横綱」大鵬関を抜いて歴代最多となる優勝を決めた。「平成の大横綱」の階段を上る白鵬関である
 
 「私は決して強い人間ではない。運が強かっただけ。でも運は努力しないと巡ってこない。努力してこそ夢をつかめる」。そう語ったことがある。歴史に名をなす人間は、そこにたどりつくにふさわしいだけの理由がある
 
 相撲の起源とされる、垂仁天皇の命を受けての力比べ。勝った野見宿禰は、対した当麻蹶速を踏み殺したというからそもそもは相当荒っぽい。洗練されるまで途方もない時間が必要だったに違いない。日本の歴史が染みこんだ、「強ければ」では済まない国技である
 
 記録は塗り替えたものの、品格は大鵬関にまだ及ばない。批判は的外れとはいえまい。だが、いずれは、と期待している。なにしろ、支える妻は阿波女なのだ。