日本統治下の台湾に、朝鮮に、満州にも甲子園を夢見た球児がいた。台湾映画「KANO~1931海の向こうの甲子園」は、嘉義(かぎ)農林学校野球部の奮闘ぶりを描く
 
 日本人、漢民族、先住民の3民族混成チームを率いたのは松山出身の近藤兵太郎。座右の銘は<球は霊(たま)なり/魂正しからざれば球もまた正しからず/魂正しからば球もまた正し>。精神主義のにおいがしないでもない
 
 ただ、それだけで一度も勝ったことのない弱小チームを、台湾代表の強豪校に鍛え上げられるはずはない。何よりも公正で、信頼に足る指導者だったのだろう
 
 日本人と先住民の双方に犠牲者が出た抗日暴動「霧社事件」が起きたのは30年。同時期の悲劇である。アジアの盟主たらんとして、大きな勘違いをした日本人。映画には、その典型のような有力者が出てくる。明らかに台湾の人々を侮った調子で、混成チームが勝てるものか、と笑う
 
 混成のどこがいけない、と近藤は叫ぶ。足が速い先住民、打撃に優れた漢民族、守備にたけた日本人。「こんな理想的なチームはない」と
 
 どんな時代だとしても、誰を相手にしたとしても、いつも正しい球が投げられる人は、そう多くはなかろう。近藤のような日本人が、台湾にどれほどいたかは知らない。しかし確かに存在したからこそ、生まれた映画に違いない。