1889年2月11日、近代日本の根幹となる大日本帝国憲法が発布された。2月9日、東京医学校のドイツ人医師ベルツは、日記にこう記している

 「東京全市は、11日の憲法発布をひかえてその準備のため、言語に絶した騒ぎを演じている。到るところ、奉祝門、照明、行列の計画。だが、滑稽なことには、誰も憲法の内容をご存じないのだ」

 当時の国民の憲法に関する認識を物語る。「憲法の発布」を、「絹布の法被」をくれると勘違いしたという笑い話さえある。大日本帝国憲法は、太平洋戦争に敗れた後、日本国憲法ができるまで一度も改正されなかった。もちろん現行憲法もだ。国のかたちを決める憲法は、それほどの重みがある

 自民党の船田元・憲法改正推進本部長から次期参院選後に、最初の改憲発議を目指す考えを伝えられた安倍晋三首相が「それが常識だ」と応じたという。驚いた。そんな「常識」が、いつの間に、どこで、できていたのだろうか

 旧憲法の発布から、きょうでまる126年、現行憲法ができて70年近く。ベルツが見た未熟な日本人の子孫は、今や憲法の大切さも、本質もよく知っている。安倍首相が意欲を見せる憲法改正には賛否両論あるが、いずれの立場でも敬意を持って論じるべきだ。その上で丁寧に国民合意を形成するのが世界の「常識」なのだ。