白木の箱は、あまりに軽かった。ビルマ(現ミャンマー)方面で戦病死した、と公報にあった。22歳の妻と2歳の長男を残して。あの日、覚えているのはそのくらい

 7歳上の前夫が出征したのは1944(昭和19)年6月。結婚してまだ4カ月。それから、どのぐらい生きられたか。わが子の顔を見ることもなく異国の土となった。「苦しいことばかりだったでしょう」。現在90歳、吉野川市山川町、高垣ヨシ子さんの講演は続く

 戦後、縁あって一緒になった再婚相手もビルマからの復員兵だった。「人が死んでいく時の叫び声が、耳から離れない」。つらかったことも全て話してくれた。しっかりと受け止めた。だから知っている。戦争を。銃後のことも戦地のことも。県戦没者記念館が毎月第2土曜に開いている語り部事業で聞いた

 「きょうの皆さんには、分かってもらえるかな」と、会場を見渡して高垣さん。若者には、まるで話が通じないことがあるそうだ。昔と今、戦争と平和。生活環境のあまりの落差を埋めるのは、容易ではない

 戦場で命を落とした県出身者は、およそ2万8千人。聴講者の一人が言った。「74歳の、私も遺児なんです」。遺族の高齢化も著しい

 記念館によると、過去5回の聴講者の年齢層は高めだ。若者こそ、今、聞いておかなければならない話がある。