それは月曜の朝に起きた。翌日は春分の日で、休日の谷間だ。休暇を取るかどうか迷った揚げ句、出勤して事件に巻き込まれた人もいただろう。運命の分かれ道がどこにあるのか。人には知る由もない
 
 通勤客を乗せた地下鉄に、オウム真理教信者が猛毒のサリンをまき、13人が死亡、6200人以上が負傷した地下鉄サリン事件は、来月20日で発生から20年を迎える
 
 当時、東京暮らしだった。不穏なうわさはあったものの、まさか化学兵器テロとは。絶句するしかなかった
 
 2日後に強制捜査が始まったが、教団の関与が疑われる事件はやまず、人々の不安をあおった。ここで襲撃されたらどうしよう。電車に乗っていて、ふと不安に駆られたことは一度や二度ではない
 
 最後の特別手配犯だった元信者の裁判が先月始まり、後遺症で寝たきりになった妹の介護を続ける男性が、被告と法廷で向き合った。「妹や自分にとって通過点でしかないが、区切りをつけたい」。この思いを、被告をはじめ元信者たちはどう受け止めるのか
 
 20年を機に行われた被害者アンケートの自由記載欄には、書き込みがあふれていた。被害者の多くは後遺症に苦しみながら「なぜこんな目に遭わなければならないのか」と問い続けている。いくら時間が流れても、癒えない傷はある。事件はまだ終わっていない。