あの日、黒い水に街がのみ込まれて、車が木の葉のように流れていく惨状に、われを忘れた。「何かしなければ」。多くの人がそんな衝動に突き動かされ、善意は義援金やボランティアの形となって、東北を支えた
東日本大震災から4年。義援金やボランティアが大幅に減っている。時間とともに関心が薄らぐのは、しょうがないのだろうか
テレビに映る被災地は、山のようだったがれきが片付いて、新しい建物も増えてきた。復興が進んだように見えるが、今も避難生活を続けている23万人近くは、大震災と向き合う日々を送る
福島第1原発の30キロ圏内に来月、復興を支える人材育成を目標に掲げた福島県立ふたば未来学園高校が開校する。いまだ原発事故が収束しない中、懸念する声も根強いが、合格内定者の3分の2、約100人は地元の双葉郡の出身者だ。「古里に帰りたい」と、入学を機に県外から戻り、家族と離れて寮で生活する生徒もいる
いわき市の仮設住宅で暮らす梶原知博君は県内外を転々としてきた。入学式を前に「技術者になって復興の役に立ちたい」と抱負を語る
子どもの数だけ夢がある。それを津波や原発事故に奪われてなるものか。大震災に翻弄されてきた被災地の子どもたち。その未来を開くために、私たちに何ができるのか。これからも探し続けたい。