切迫した状況で、いや切迫した状況だからこそ、振り返れば笑ってしまうようなことが起きる。4年前、宮城県東松島市でこんな話を聞いた
その時、男性は自宅の庭にいた。黒い壁のような津波が目の前に迫る。周囲には頼りなさげな庭木しかなかった。仕方がない。それに取り付いて、夢中で登り、しがみついていた
どのくらいがたったか、家の2階に妻の姿が見えた。目が合った。「そしたら言うんだ。『何をやってるの』。聞くまでもないだろ。こっちは流されそうだというのに」。傍らで妻が苦笑した。「動転していたのよ」
家を失った。農地も駄目になった。こう冗談めかして話せるのも、息子をはじめ家族が生き延びられたこと、それが何よりだからと。避難所の隣には一時、遺体安置所があった
「無事で」が、かなわなかった人がいる。関連死を含め、震災犠牲者は2万人を超す。うち2584人の行方は今も分からない。避難生活を送る人は22万9千人。5年目に入ってもなお、被災地は再生の途上にある
妻を失った岩手県大槌町の東谷藤右エ門さんは81歳。昨年、運営する保育園の再建を果たした。「亡くなった方を思い出しながら、それでも前に進まないとね」。寄り添い続けよう、復興への歩みが確かになるまで。3・11。私たちが決意を新たにする日でもある。