<おれは深遠な気分だ、早朝の長距離練習はこれこそ人生だと-ちっぽけな人生だが、およそあらゆる不幸や幸福や出来事に取り囲まれた人生だと-感じさせてくれるからだ>「長距離走者の孤独」(河野一郎訳)
 
 主人公は野山を駆けるクロスカントリーの選手。作家アラン・シリトーは、出身地イングランド・ノッティンガム地方の方言を使って、権力にあらがう少年の心模様を的確に描いてみせた
 
 わずか一文に「人生」という文字が3度も出てくるが違和感はない。ここにはまるピースは、それ以外にはなかろう。事ほどさように、人生と長距離走は相性がいい
 
 よく例えに挙がるのは、競技者の多いマラソンである。人生をマラソンに、マラソンを人生になぞらえて箴言(しんげん)が生まれる。苦しくて、心地よくて。なるほど、多くの要素が詰まっているからだろう
 
 かつては「何が楽しいのだ」と言っていた人たちが次々、走るという単純な行為のとりこになる姿を見てきた。熱病は随分と広がって、「長距離走者の孤独」どころか、8回目の今回は過去最多、1万1897人がエントリーしている。きょう、とくしまマラソンが開かれる
 
42・195キロの向こうに、どんな風景が広がっているのだろう。いまはまだ自覚症状のない小欄も、そろそろ熱が上がってきそうな2015年春である。