ある夏の午後、心臓を病む妻が愛する夫の手を握り、「自分の生命を永らえさせてほしい」と嘆願した。だが、神ならぬ夫にはその力がなかった。まだ、医療も不十分な大正初めの話である
 
 亡き妻おヨネの墓のある徳島へ旅立ったのはポルトガルの文人モラエス。100年前の4月3日、故国の新聞に、妻への追慕が徳島に来た理由だと書き送っている
 
 海軍士官、外交官としてモザンビーク、マカオ、神戸と続いたモラエスの旅は徳島で終わる。眉山の麓、徳島市伊賀町の長屋で、当時の習俗や文化を考察した随想や「おヨネとコハル」を書きつづった。作品は徳島県民の貴重な文化的財産である
 
 著書や写真、3人の遺髪などを展示した眉山山頂のモラエス館には、彼らの魂が宿っていた。館の一角に再現された居間には、つい今し方まで文人が座っていたような趣さえあった
 
 観光展望施設建設に伴う、先月末の閉館が惜しまれる。収蔵品は徳島市内で一部公開後、来秋には、眉山山頂の隣接施設を改修して、展示される。形ばかりの展示スペースにするのではなく、文人らの心を映す工夫をと願う
 
 モラエスは徳島を「神々の町、仏たちの町、死者の町」と形容した。おヨネ、コハルとともに眠る眉山山麓周辺は今、桜の花が満開。往時をしのびながら花々をめでるのも、供養になろう。