今の繁栄は当然に「道具」を手にしたからこそである。が、それで良かったと、一片の疑いもなく言いかねるところがある。スタンリー・キューブリック監督のSF作品「2001年宇宙の旅」の冒頭に、その発見にまつわる印象的な場面がある

 人類が、まだ猿に近かったころ。神を暗示するかのような謎の物体「モノリス」から知恵を授かった一匹が大型動物の骨を手に思案する。転がっているとただの骨。だが振り下ろせば、素手にはない破壊力がある

 狩りに使うと効率よく獲物にありつけた。先を転じてみると…。対立する猿に振り下ろした骨は、もう道具とは呼ばない。「武器」の誕生である

 学生ら約150人が殺されたケニアの大学襲撃事件で、隣国ソマリアのイスラム過激派アルシャバーブが犯行声明を出した。事実であれば一昨年、67人が犠牲になった首都ナイロビのショッピングモール以来の大量殺りくだ

 大学襲撃犯は5人組らしい。その人数では素手の時代、いや骨の時代でも、一度に150人も殺せない。可能にしたのは武器の進歩。小火器ですらこれほどの結果だ。もし大量破壊兵器なら

 世界の速度に「共存の知恵」が追いつかない。それを手にしたと思っても次の事態に直面し、泡と消える繰り返し。でも探し続けるほかはない。死者の列から目をそらさずに。