いくら肘を怒らせて立ちはだかっても、向かってくる車につぶされるのが落ちである。中国の思想書「荘子」は、カマキリを身の程知らずと描く
「蟷螂の斧」。自分の力を省みず強者と立ち向かう、はかない反抗の例えだ。車になどかないっこない。カマキリの行為はあまりに愚かだと、やはり切って捨てるべきか
そうは思わない。小欄はそちらの方へ1票を投じる。強者が常に強く、弱者が常に弱いなら歴史はよどみ、腐臭の漂う深い沼となろう。現実はそうではない。時は流れ、いつか主人公は変わる
「韓詩外伝」は、その後を記す。「あれは、むやみに強敵に挑みかかる習性のある虫です」。従者から聞いた王は「人間ならばきっと勇者になるだろう」と、カマキリを避けて車を進ませた。やってはみるものである
飯泉嘉門知事が4選を果たした。東京に対抗し、あるいは自治体消滅の危機に抗して、蟷螂の斧を振るってもらわねばならない。自ら蟷螂とは自虐的ではないか、と感じる向きもあろうが、それほど難しい課題なのだとあらためて説明するまでもあるまい
<芳を千載に遺すとか-そんなけちな了見で何ができるものか>(勝海舟『氷川清話』)。多選の弊害にも心しなければならない頃合いだ。しっかり気を引き締め直していただきたい。まさに言わずもがなだけど。