どんな物にも使い道というものがある。本来の使用目的から外れていても、世の理解や賛辞を得れば、理にかなう用途といえよう
近松門左衛門の名作「女殺油地獄」は、最大の見せ場で油が巧妙に使われる。主人公の油屋の道楽息子・河内屋与兵衛は、世話になっていた同業の豊嶋屋の女房お吉を刺し殺し、金を奪う。倒れたおけの油にまみれながら逃げるお吉を与兵衛が殺害するシーンは、欲望に狂った男の愚かさと、不条理に命を奪われる女の無念を映して観客の胸を打つ
ぬるぬるとして身の自由を奪う油が、2人を逃れられない定めの世界に閉じ込めているようにも感じる。この演目が出世作となった片岡仁左衛門の与兵衛の演技はダイナミックで、自分を抑えきれない男の情念を見事に伝えて余りあった
このところ、寺社に油のような液体がまかれる事件が相次いでいる。奈良の長谷寺、京都の東寺、千葉の成田山新勝寺、そして、お隣の香川県琴平町の金刀比羅宮でも。仏像や社殿などに液体の跡があった
寺社に油をまく意図は分からないが、油には油の使い道がある。大衆の信仰の対象に油をまいて何になるだろう。「女殺-」の与兵衛が、ふとしたことから犯行が露見して捕まったように、悪事は実を結ばないものである。潔く自首して罪を償えば、神仏には慈悲もあろう。
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