「出撃前夜、枕を並べて寝た。幼い寝顔に涙が止まらなかった」。上官から届いた便りには、そう書いてあった

 井花敏男少尉(戦死後4階級特進)は旧宍喰町出身。70年前のきょう、爆弾を積んだ旧式の97式戦闘機で、鹿児島県の知覧基地を後にした。17歳と2カ月。陸軍沖縄戦特攻隊の戦没者1036人の中で最も若い

 海陽町の実家を継いだ末弟の昭文さんに、当時の写真を見せてもらった。あまりにあどけない。「死んでも守ってあげる」と言い残し、引き留める母を振り切って家を出たという

 「それでも親が恋しい、きょうだいが恋しいという手紙も来た。まだ、そんな年頃。楽しみもなく、死ぬためだけに生まれてきたようなもの」と昭文さん。町から8キロ奥に入った生家の前には田、後ろに山林が広がる。戦争がなければ別の人生があったろう

 特攻隊の戦没者名簿を繰れば、ほぼ10~20代。最後を伝えた上官も20代前半だ。1カ月後、同じ隊員として命を落とした。若い人から死んでいかねばならない時代だった

 <大君の仇(あだ)なす敵を打(うち)砕く大和若鷲(わかわし)今ぞ征(い)で立つ>。懸命に背伸びする少年の笑顔が浮かぶような、井花さんの辞世である。飛び立てばすぐ、薩摩富士と呼ばれる開聞岳の秀麗な姿、その向こうにどこまでも続く海が見えたはず。操縦席で一人、何を思っただろう。