「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」。あらためて紹介するまでもなく、憲法第76条の3項はそう規定している。裁判官は何者からも指示、干渉されず、良心に従って職務を行う。はずなのだが…

 原発の再稼働をめぐって、地裁の判断が二つに分かれた。福井県の関西電力高浜原発3、4号機の安全対策は不十分として、周辺住民らが再稼働の差し止めを申し立てた仮処分。福井地裁は、原子力規制委員会の新規制基準について「緩やかにすぎ、合理性がない」と指摘し、再稼働を認めない決定をした

 一方、鹿児島県の九州電力川内原発1、2号機では、住民らの同様の申し立てを鹿児島地裁が却下した。こちらは「新基準は専門家の審議で定められ、不合理な点はない」との判断だ

 一体、どちらの地裁の判断に「合理性」があるのだろうか。福井地裁の裁判長は関電大飯原発3、4号機の運転禁止を命じた人物で、原発問題では一本筋が通っているとみえる。国が推進する政策に、「良心」をよりどころにストップをかける裁判官の存在は、司法の独立を感じさせる

 どちらの決定が正しいと言いたいのではない。右へ右へ、左へ左へと、時の政府の政策を追認するような裁判官が増えれば、この国の民主主義が危ういのだ。