「押し付けられた」とは言うけれど、どうしてどうして、ひと目ぼれのところもある。きょう68回目の記念日を迎えた日本国憲法である。国民主権に基本的人権の尊重と、「押し付けられた」のは、何も平和主義に限らない
早くから「改正を」との声が上がっていた。変えられなかったのは、例えばこんな思いがあったからではないか。<遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし>土岐善麿
この歌自体は、日中戦争の中国兵の姿を詠んだものである。戦局は厳しく、程なく日本軍も同様のしかばねの山を築くことになった。そして、手ひどい敗戦。憲法は、先の大戦で亡くなった人たちの血でしたためられている
軽武装、経済重視。平和国家の金看板が世界に道を開いた。戦後の発展は憲法あってこそ。だからこそ、支持もされてきた。とはいえ、制定からおよそ70年がたつ。時代に合わなくなった部分はないか、点検してみるのも悪くない
安倍政権は憲法改正に前のめりだ。ただ、そう簡単に進みはしないだろう。是非は結局、国民投票で決まる。長く守ってきた平和主義を国民が手放してしまうとは思えない
憲法に縛られているはずの政権が、閣議決定だ、対米公約だ、と憲法を蚕食している現状がある。この機会に併せて考えたい。憲法は一体、誰のものか。
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