時は室町時代の1469年、場所は筑後国三池郡、現在の福岡県大牟田市にあった稲荷山。地元の農民・伝治左衛門が見たという。たき火をしていた最中、そばの石が燃えるのを。言い伝えによれば、九州は三池炭鉱の、これがそもそもの始まりである
その主要施設、万田坑(熊本県荒尾市)は日清・日露の戦争に相前後して着工、完成した。富国強兵と殖産興業。坂の上を目指し、日本が疾走していたころだ
鉄のやぐらに象徴される炭鉱らしい風景が今も残り、国の重要文化財となっている。案内の人から聞いた。「採炭作業はきつく、当初は囚人を働かせていたんですよ」。日本の近代を地中深い場所で支えたのは意外な人たちだった。「その後? 朝鮮半島の人が多かったですね」
三池を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録される見通しとなった。軍艦島の通称がある端島炭坑や官営八幡製鉄所など8県の23施設に上る
植民地時代に朝鮮人労働者が働かされた施設が含まれる、と韓国は反発し「登録阻止」を叫んでいる。かの地では歴史問題をめぐる外交で敗北した、と政権批判が高まる見通しだ
光と影、そのいずれも記憶すべきなのが歴史だろう。三池発見から約550年。「まさかあの石が、こんな騒動にねえ」と、伝治左衛門なら当惑するかもしれない。