私たちは戦争の惨禍の上で暮らしている。あらためてそう感じた。大阪市の繁華街・ミナミの近くで不発弾が見つかった。太平洋戦争末期の空襲で投下された米国製1トン爆弾のようだ
 
 陸上自衛隊が信管を取り除いたが、難波や日本橋の商業施設は一時休業した。隣の「なんばパークス」は大阪球場跡地。プロ野球旧南海ホークスの本拠地で、数々の名勝負の舞台となった。その近くに大きな不発弾が埋まっていたのだから不気味だ。それでも70年余り前、国民を吹き飛ばさなかったのは幸運だった
 
 不発弾でも爆発する。2009年には沖縄県糸満市で、地面を掘っていたショベルカーが不発弾に接触し爆発。操縦者は顔に大けがをした
 
 イラク戦争当時、イラク南部サマワで陸上自衛隊が人道復興支援活動を行った際、宿営地内にロケット弾が着弾したことがある。幸い不発だったが
 
 安倍政権が推し進める安全保障法制の整備で自衛隊の活動が拡大すれば、紛争に巻き込まれる懸念は高まる。「不発」などの運、不運が隊員の生死を分けてよいはずはない。危険は初めから取り除くべきだ。だが、国会は与党のペースで、野党は力が足りない
 
 <国論の統制されて行くさまが水際立てりと語り合ふのみ>(近藤芳美)。そんな雰囲気が再び顔をのぞかせている。戦争の反省はどこへ行った。