<敵は八五-九○節(ノット)の日本機駆逐艦を追ふと電話す。幕僚の中には駆逐艦が日本機を追ひかけたりと笑ふものあり>。宇垣纏(まとめ)海軍中将の戦中日記「戦藻録(せんそうろく)」(原書房)にみえる
日付は1945年5月25日。沖縄戦、菊水7号作戦に特攻機が集中投入された日だ。中将と幕僚は、戦況確認のため司令部に詰め、米軍の無電を傍受していた
登場する「日本機」は、旧海軍徳島航空基地(松茂町)などに所属していた練習機「白菊」。大戦末の機材不足で特攻機に転用された。八五-九○ノットというから、時速は160キロそこそこ。軍用機としては極めて遅い
操縦する若者は、それでも懸命に敵駆逐艦を追った。爆弾を抱いて体当たりするために。その最中である。上官が、白菊の鈍足をあげつらい、こんな冗談で笑ったのは。「駆逐艦を追う? 白菊の方が追い掛けられているんじゃないか」。笑うって…
揚げ句の果てに、<之(これ)に大いなる期待はかけ難し>。戦場へ、そんな練習機で向かわせたのは誰か。この人たちにとって若者の命は、丸めて捨てる紙くずほどの値打ちしかなかったのだろう。白菊による特攻は、沖縄戦終結まで続けられた
宇垣中将は8月15日の玉音放送の後、つまり戦争にけりがついた後、爆撃隊に出撃を命じて、部下を道連れに自殺する。ぶつけたい言葉が無数にある。