彼にも、きょうだいにも知的障害があった。ひどいいじめを受けていた。小学校へ相談に来た母親の、その地味なブラウスと長いスカート。運動場を歩く悲しげな姿は、小学生の改心を促すのに十分だった
それから15年余り。本紙社会面に掲載された短い記事で、すっかり忘れていた彼の消息を知った。記事は、親族の8坪(約26平方メートル)に満たない空き家に放火した疑いで、26歳の男が逮捕されたと実名で伝えていた
さらに15年。彼が死んでいるのが見つかったと知人が教えてくれた。小屋と見まがうばかりの家で独り、病気で衰弱死したのではないかという。それまでの41年間、どうやって生き、最期は何を思いながら目を閉じたのだろう
そんな記憶がよみがえった。同居する兄の死を知りながら放置したとして、死体遺棄罪に問われた65歳の男に、徳島地裁がおととい、有罪判決を言い渡した。男にも軽度の知的障害があった。だからといって、許される罪ではない。それは分かる
ただ最近、似た話をよく耳にする。故人の年金を狙った悪質なケースも後を絶たないが、障害が絡むことも少なくはないようだ
軽度であるがゆえに、さまざまな支援の網から漏れることがある。福祉施策のはざまに落ち込んだ末に…。「切れ目のない対応」はこんなところにこそ必要なのではないか。