<振りむくと、おゆうが眼を開いていた。源作を見つめたまま、黙って微笑した>。藤沢周平さんは「橋ものがたり」(新潮文庫)で市井の人々の心の機微、男女の情を細やかに描く。出会いがあり、別れがある。物語のきっかけとなるのは橋
 
 この橋も、おゆうのまなざしのように温かく、行き交う人々と流れる時代を見詰めてきたのだろう。大鳴門橋が開通して明日で30年になる
 
 沖縄県石垣島や台湾で製糖を手掛け、砂糖代議士とも呼ばれた上板町出身の衆院議員中川虎之助が、国会に「鳴門架橋と潮流発電に関する建議」を提出したのが1914年。まともに相手にされず、わずか30分の審議で否決された。計画に光が当たるのは戦後になって。昨年度の平均通行台数は1日約2万3千台。本県の動脈は船から道路へ移り、県民の暮らしは大きく変わった
 
 橋さえ架かればよし。虎之助の夢はその程度ではなかったはず。橋の向こうに豊かな郷土を見据えていたに違いない。夢、いまだ実現の途上である
 
 この30年、価値観は激流の中にあった。バブルの後遺症に苦しみ、豊かさはモノだけでは測れないことを学んだ。深刻な少子高齢化にも直面している。では、どんな未来を選ぶか
 
 一世代を30年とすれば、明日は次の世代の始まりの日。これから30年、大鳴門橋は何を目にするだろう。