言われてみれば当然だ。しかし言われるまで、うかつにも考慮の外。そんな話が結構ある。先の大戦で亡くなったのは? 軍人に、空襲の被災者に…、浮かんだろうか商船や漁船の船員のこと
JR元町駅から徒歩10分、神戸港のシンボル・ポートタワーにほど近い神戸市中央区海岸通りに、こぢんまりとした施設がある。「戦没した船と海員の資料館」という。階段を上がれば、戦没船の在りし日の写真がずらりと並んでいる
館によると、一般汽船3575隻、国内航路などで使われた機帆船2070隻、漁船1595隻の少なくとも7240隻、船員約6万人が終戦までに没した。徳島県出身者は1316人
軍艦と違って攻撃には弱い。戦時中の船員の死亡率は軍人をはるかに上回り、43%に達するとされる。被害は戦後も続き、残った機雷に触れて約150隻、3千人の命が失われた
口減らしで海員学校へ進んだ農家の次男三男も少なくはなかったそうだ。半年ほど学び、船員徴用令に従い船に乗る。犠牲者の31%は20歳未満で一番下は14歳。甲板よりもまだ泥田の方が得意だったろう
本県の旧国名にちなんだ1万トン余りの商船「阿波丸」は1945年4月1日、台湾海峡で米潜水艦の雷撃を受け、2分で沈没した。乗船者は2278人。うち生存者は1人。戦没船の一例である。
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