70年前のきのう、太平洋戦争末期の沖縄戦の終盤、壕の中で負傷兵の看護をしていた「ひめゆり学徒隊」の乙女たちは、突然の解散命令を受けた。壕から米軍の砲弾が降り注ぐ戦場に放り出された学徒らは、次々に命を落としていった
沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、学徒隊の生存者、島袋淑子館長の戦争体験講話を聞いた。初めは怖がっていた少女たちも、大けがをした負傷兵を看護するうちに、「人間の心が変わって平気になる」。麻酔の代わりに人が兵士の体を押さえて足を切断する。戦死者を穴に入れると、そこに爆弾が落ちて遺体がばらばらになった。兵士は「二度死んだ」。島袋さんは「戦争で国民は守れない。戦争は人災」と結んだ
資料館の展示室に入ると、壁に並ぶ乙女らの遺影から今も消えない無念さが伝わってきた。被弾して亡くなった学徒、海岸を逃げる途中で大波にさらわれた学徒、「死亡場所、死亡状況共に不明」の学徒もいた
国会では、自衛隊の海外任務を拡大する安全保障関連法案をめぐる論戦が続く。集団的自衛権の行使に道を開く政府の方針が「平和」を守る道といえるのか
動員時、学徒は「1週間で学校に帰れる」と思ったという。絶望の中、逃げ惑いながら何を思っただろう。政府は、彼女らの声なき声に耳を澄まさなければならない。
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