生まれながらに目の不自由なマシオが4年生のとき、こんな詩を書いた。梅雨を過ぎ、きつい夏日が運動場をじりじりと焼く、そんな季節の夕刻。<雨が ふってきた/土くさい/土くさい/どしゃぶりだ>

 絵本「雨のにおい 星の声」(小峰書店)から引いた。著者は児童文学者の赤座憲久さん。視覚障害児の学校で教壇に立っていたころの体験を児童の作品とともに記している。ここ数日の雨で思い出した

 だからというのでもないが休日、目を閉じて雨の音に耳を澄ませてみた。屋根を打つ。庭木を洗う。道路へ、向こうの田へ落ちる。平板だった雨音に奥行きが生まれる。においに音に、雨にもいろんな成分がある

 徳島視覚支援学校にお邪魔したとき、高等部2年の林和輝君が五感のすごさを話してくれた。目が悪くなり1年と少し。でも今は毎日が楽しい。これまでサボりがちだった感覚をしっかり生かせば、できることがどんどん増えていく

 だから思う。点字ブロックに車を止める無神経。とはいえ、あまりに気を使われるのもどうだろう。冷たすぎない、優しすぎない。障害者がその一員として当たり前に生きられる、程よい社会があるんじゃないか

 障害初心者。どれだけ可能性があるか、今はまだ分からない。ゆえに夢も希望もこれから。未来多き17歳が、ここにもいる。