旅をした。日置市美山は鹿児島市から西へ車で20分ほど。沈寿官(ちんじゅかん)窯は山中にある。黒薩摩の湯飲みを幾つか求めた。日用には少し惜しく、まだ下ろしていない

 美山は1598年、秀吉の朝鮮出兵、慶長の役で島津義弘に捕らえられた朝鮮人陶工が暮らした町だ。薩摩焼の源流である。司馬遼太郎さんが「故郷忘(ぼう)じがたく候(そうろう)」(文春文庫)に、その歴史を書き残している

 薩摩を治めた島津家は、連行してきた陶工を手厚く遇した。同時に姓や言葉、習俗も変えぬように命じ、代々、藩のために焼き物を作らせた。幕末から明治にかけて欧米で開かれた万博で「サツマ」と呼ばれ称賛された作品は、12代沈寿官の手による

 東京裁判でA級戦犯に問われた元外相・東郷茂徳もこの土地の出身である。そんな町の空気に触れ、しばし考え込んだ。朝鮮半島と日本の歴史を

 日韓国交正常化50年の節目の日を迎えた。年約500万人が往来する間柄なのに祝賀ムードは乏しい。国と国の関係を歴史問題が縛っている

 不幸な幾時代かがあった。ひどいこともしただろう。事実は率直に認めるが、いささか度の過ぎた反発にへきえきとする場面も多い。反日だ、嫌韓だ、と叫び合うだけの理由はあろう。しかし、いいかげん、けりを付けなければ。隣同士。この関係は、千年たっても変わらないのである。