その遺骨は壕(ごう)の奥の空間で、膝を抱えるようにうずくまっていた。そばに県立中学の制服のボタンがあった。鉄血勤皇隊の学徒兵だったとすれば14~17歳
沖縄戦。ガマと呼ばれる洞窟や壕の入り口を最後には破壊し、中に潜む兵士や住民を生き埋めにするのが、米軍の戦法。「馬乗り攻撃」と呼ばれる。中学生も行き場を失い、仲間の死臭が漂う暗闇の中、ただ独り死を待っていたのか
遺骨は多くを語る、と遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(61)は言う。上半身が四散しているのは手りゅう弾で自殺した人たち。兵士は南へ行くほど軽装になる。南端に至れば肌着と手りゅう弾のみ。弾も食料も精魂も尽き、装備を捨てつつ敗走した結果だ
地の底で膝を抱えているのは先の中学生だけではない。未発掘のガマや壕は多く、今も3千人を超す兵士や住民が地中に眠ったままだという。勝手に動員しておいて、この仕打ちはない、と温厚な具志堅さんが語気を強める
遺骨を家に帰す義務が国にはある。子の世代が生きている今が最後のチャンス、と。きょうは沖縄戦が終結したとされる「慰霊の日」
具志堅さんは2009年、阿波市出身の兵士の遺骨を見つけ帰郷させている。活動は「ぼくが遺骨を掘る人『ガマフヤー』になったわけ。」(合同出版)に詳しい。