戦後最悪の列車火災事故は1951年4月24日、横浜市の旧国鉄京浜東北線・桜木町駅で起きた
たるんだ架線に電車のパンタグラフが絡まって火花を発し、5両編成のうち2両がホーム直前で炎上、100人を超す乗客が焼死する惨事となった。屋根から出火とは奇異に思うが、火災も起きるはずだ。火を噴いたのは旧型の木造車両。可燃材料が多く、1両は10分ほどで焼け落ちた
電気が絶え自動ドアは閉じたまま。非常用ドアコックがどこにあるか乗員は知らず、その上、窓が大きく開かない構造だったため、乗客に逃げ道はなかった
あまりにも痛ましい。それでも事故ならば打つ手はある。実際、車両改造をはじめとする再発防止策が講じられ、その後の教訓となった
では、この惨劇ならどうか。乗客28人が死傷した東海道新幹線での放火事件である。航空機並みに荷物検査を強化すれば、同種の犯罪は防げるに違いない。だが現実に可能か。東海道新幹線の1時間当たりの運転本数は最大15本。平均乗客数は1日40万人を超す
電車やバスなど同様の危険が潜む場所は多い。善意に基づく社会が、一度悪意に魅入られると、打つ手はどれほどあろう。といって、運命の列車に乗り合わせた不幸、と割り切れるはずもなく。悪意を見分ける眼鏡でもあれば。せんもないことを考える。