戦争を仕掛けた側として、かつては口をつぐまざるを得ない事情もあったろうが、もうこの辺できちんと断罪しておくべきだ。都市そのものを標的にした無差別爆撃を
 
 70年前のきょう、県都は灰になった。徳島大空襲である。あの年、国内主要都市のほとんどに焼夷弾の雨が降った。子どもを含む大勢の民間人が死んだ。犠牲者は全国で50万人以上といわれる
 
 爆弾を落とす人がいて、炎に包まれた人がいた。主語ははっきりとしている。なのに空襲を、避けられない自然災害のように語ってしまうことがある。いまさら恨んでも仕方ないし、その必要もないが、行為自体を許してはいけない
 
 都市爆撃。非戦闘員の無差別大量殺害。戦時国際法違反、人道上の罪は明白だ。普通はこういう事態を虐殺とか、殺りくとか言う
 
 悲劇を語り継ぐとともに、東京大殺りく、徳島大殺りく、と血の滴るような感覚で、空襲を社会の記憶にとどめておくべきだろう。欧州でもハンブルクやドレスデンなど、果てはヒロシマ・ナガサキへ、核兵器あふれる現在の世界へと道は続いているのである

 いわゆる戦略爆撃の系譜の中には遂行者として、かつての日本、ドイツの名もある。日本では「要地爆撃」と呼ばれた重慶であり、ピカソが描いたゲルニカであり。こちらも覚えておかないと、フェアではない。