映画「東京物語」で大坂志郎さんが演じる敬三は、葬儀をそっと抜け出し、胸の内をふっとはき出した。「どうも、木魚の音いかんですわ。何や知らん、お母さんがぽっこ、ぽっこ、小そうなっていきよる。僕、孝行せなんだでなあ」

 この稿にはさして関係はないが、次のせりふもいいのでついでに。「今死なれたらかなわんわ。さればとて、墓に布団も着せられずや…」

 例えば木魚。遠くに聞こえる晩鐘でもいい。いずれにしても心に染み入るような深みある音か-。それは願望にすぎなかった。弥生時代の青銅祭器・銅鐸の音色である

 徳島県立博物館に来館者が鳴らせるレプリカがある。その音を聞いてみるといい。じゃんじゃん、と春節の中華街のような騒々しさ。銅鐸は豊作を祈る農耕祭祀に使われたとの説が有力だから、にぎやかな方が好まれたのかもしれない

 石材関連会社の砂山から出土し話題になった淡路島の「松帆銅鐸」には、7個全てに、音を鳴らすため内部につり下げた「舌」があった。長い間使われたのか、すり減っていた。他の地方では舌を外して埋納するのが普通。「ここだけなぜ」の解明はこれからだ

 想像してみる。水稲もぐんぐん成長するこの季節。緑の田に、じゃんじゃんと銅鐸の音を降らせる弥生人。なるほど、今年も豊年満作、そんな気にもなる。