歳月の重みを考える。70年、2世代。毎年めぐりきた8・6、そして8・9。新たに3・11も加わって、惨禍は二度とごめんだ、と言い続けてきたけれど

 広島で被爆した詩人原民喜は片仮名で書き殴った。<水ヲ下サイ/アア 水ヲ下サイ/ノマシテ下サイ/死ンダハウガ マシデ/死ンダハウガ/アア/タスケテ タスケテ/水ヲ/水ヲ/ドウカ/ドナタカ>。そう言いながら死んでいった人たちの思いを

 被爆国の民は言う。人類と核兵器は共存できない。そんなことはない、と戦勝五大国は言う。われらの持つ核、その抑止力こそが世界戦争を防いできた。君たちもアメリカの「核の傘」の下にいるではないか。月日が過ぎても、議論は行き詰まったままだ

 今年4~5月の核拡散防止条約再検討会議では、オーストリアが核禁止を呼び掛け100を超える国々が賛同した。日本は行動を共にしなかった。唯一の被爆国を標榜(ひょうぼう)しつつ、国を挙げての核廃絶運動には乗り出せない。及び腰でいる。それでいいのか

 <正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい>。井伏鱒二「黒い雨」の語り部は、原爆のあまりのむごさに憤然とし、心の中で叫んだ

 それから70年。正義の戦争のまやかしを知った。同時に不正義の平和のいかがわしさも。嘆きの声絶えない世界で、私たちは何をなし得るか。