「広島をまどうてくれ!」。広島市の「平和記念式典」の平和宣言で松井一実市長が被爆者や家族の悲痛な叫びを代弁した。その言葉は心の深奥まで響いた

 1983年、中曽根康弘内閣当時に、参列した式典を思い出した。そのころも核の脅威は頭上にあった。米ソ冷戦の真っただ中、米国がピンポイントで攻撃できる核巡航ミサイル・トマホークを開発したことで、核兵器使用の恐れが強まりつつあった
 
 「核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分からない」。松井市長の言葉に、32年後の今も核をめぐる状況がそう好転していないことに、忸怩たる思いがする
 
 安倍晋三首相はあいさつで「あらためて平和の尊さに思いを致している」と述べたが、非核三原則には言及しなかった。その言葉は被爆者の心に届いただろうか
 
 「片目あけたまま死んでいる子供とか、皮一枚でぶらさがっている子供をだいているお母さんを見て、びっくりしました」(ヒロシマ・ナガサキ死と生の証言、新日本出版社)。70年前のきのう、爆心地から2キロで被爆した当時5歳の女の子の体験だ
 
 思想が右でも左でも、原爆の被害は、同じように筆舌に尽くしがたい。国籍や党派にかかわりなく、「絶対悪」である核兵器を廃絶する願いを共有したい。平和は幾ら分けても尽きず誰もが共に享受できる。