ちょうど百年前の1915年、徳島の「ぼん・おどり」が、禁止された。晩年を徳島で過ごしたポルトガルの文人モラエス(1854~1929年)は随想記「徳島の盆踊り」にそう記している

 禁止の理由は、皇太后崩御に伴う国民の服喪のためとも、欧州での戦争のせいともいわれた。前年に勃発した第1次世界大戦に、日本は日英同盟を理由に参戦した。阿波踊りは第2次大戦中も中断されている。いずれにせよ、平和あっての阿波踊りだ
 
 <良い戦争、悪い平和などあったためしがない>とは、18世紀の米国の政治家ベンジャミン・フランクリンの言葉だが、永遠の真理だと思いたい。集団的自衛権の名の下、日本が”良い戦争“に巻き込まれるのはご免こうむる。そもそも、良い戦争などないのだから
 
 「ぼん・おどり」禁止のさらに百年前、欧州ではフランス革命とナポレオン後の新秩序を話し合うウィーン会議が開かれた。各国の利害が絡む中、参加者は連夜の舞踏会に興じ、「会議は踊る、されど進まず」の名文句が生まれたほどだ
 
 戦乱が収まれば、踊りたくなるのは万国共通らしい。でも今や、阿波踊りにそんな前段は必要ない。それは、この70年、私たちが踊る阿呆(あほう)でいられたからだ。あと30年、そして、子や孫が担う次の百年も阿呆でいたい。平和な二拍子の踊り天国で。