劫(こう)という字がある。古代インドの時間の単位である。その長さは、例えばこんなふうにも表現される

 雲上はるかにそびえ立つ岩山へ、3年に1度、天女が舞い降り、あの薄い羽衣で1回だけ岩肌に触れる。何度も繰り返せば、岩山も、いつかはすり減ってなくなるだろう。それまで、それに要する時間のこと

 書きながら目まいがした。人の感覚では無限に等しい。ちなみに仏教語でもあるこの字は割になじみがあり、何でもないような字句にも果てのない時間が封じ込められている。落語「寿限無(じゅげむ)」にある「五劫のすりきれ」の劫、億劫(おっくう)にいたっては劫の1億倍。未来永劫(えいごう)の劫

 正しい教えに従えば、修行に必要な劫という長い時間も乗り越えて「さとり」の境地に至ることができるはずだ。24歳の空海は「三教指帰(さんごうしいき)」を記し、自らの進むべき道を宣言した

 18歳で当時唯一の大学に入り、人一倍勉強に励んだ。官吏になって安楽に暮らすこともできた。だが、そんな生活はやがて幻のごとく消えていくだろう。鳥や獣も例外ではない、全ての生きとし生けるものを救わねばならないのに、どうして世俗の栄達なんぞに心とらわれていられようか

 柔和な大師像に、青年時代のすがすがしい決意を探した。そごう徳島店で「ふれる空海 高野山1200年至宝展」(23日まで)が開かれている。