干支(えと)は甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)の十干(じっかん)に、こちらはなじみ深い子(ね)、丑(うし)、寅(とら)…の十二支が組み合わさってできている

 よく知られたところでは、甲子園球場ができた年の「甲(きのえ)子(ね)」、八百屋お七の生まれ年とされる「丙(ひのえ)午(うま)」。都合60種類、60年で暦は一回り。還暦である。考えるには十分な時間だ

 今年は乙(きのと)未(ひつじ)。森永ヒ素ミルク中毒事件は前回の乙未、1955年に起きた。各地に広がる乳児の高熱や激しい下痢は、石井町にあった森永乳業徳島工場で製造された粉ミルクが原因、と岡山県が発表したのは60年前の今日

 1年間で130人が亡くなった。戦後最大の食中毒事件の被害者は1万3千人を超す。県内は約450人。肢体不自由や知的障害といった重い後遺症に苦しむ人も少なくはない

 事件発覚後、被害者は一度、切り捨てられている。良識ある研究者らの努力で広範な健康被害が明らかになったのは、それから14年たって。見るべきこと、やるべきことは山とあったのに社会は目を閉ざしていた

 幾つもの公害事件を経験してきた日本。その教訓は果たして生かされてきたか。危機管理と善後策、被害者への対応も、東京電力福島第1原発事故を見る限り十分とはいえまい。この社会、何が欠けているか。60年一回り、わが目を見開いて、もう一度原点から考えてみる。