宮武外骨(がいこつ)は権力批判を旨としたジャーナリスト。香川に生まれ、明治から昭和にかけて活躍した。「頓智(とんち)協会雑誌」「滑稽新聞」を主宰したと言えば、その立ち位置がうっすらと見えてこよう
検挙されること度々。大日本帝国憲法のパロディーを載せた際は、不敬罪で3年の獄中生活を送った。「過激にして愛嬌(あいきょう)あり」の、新聞のモットーそのままに生きた
1923(大正12)年9月1日、東京・上野の自宅で関東大震災に遭遇している。ラジオ放送が始まる2年前で、情報は紙の媒体がもたらしていた時代。<有史以来の大惨事>を記録すべく、25日には絵入り雑誌「震災画報」の第1号を出した
緊急出版にもかかわらず、いささかも批判精神を失わなかった。人間の欲や浅ましさ、それこそ滑稽さがにじみ出るエピソードを、力いっぱい詰め込んだ
翌年1月発行の最終第6号まで、何度も取り上げたのが、いわゆる朝鮮人虐殺である。流言飛語を信じた自警団員らを止められなかったばかりか、誤った情報の発信源ともなった官憲の無能である
人を救い、人を殺す情報なるもの。自戒を込めて「震災画報」(ちくま学芸文庫版)をめくる。軽信誤認の大罪悪。テレビもネットもある今なら大丈夫ですよね。言下に笑い出した泉下の外骨氏。そして言うことには-。「怪しいもんだ」。
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