三つの「風神雷神図屏風(びょうぶ)」を間近で見比べると面白いに違いない。桃山時代の後期、京都に興った美術の流派「琳派(りんぱ)」を代表する絵師3人の作品が来月、京都国立博物館で同時展示される
 
 国宝の俵屋宗達筆と重要文化財の尾形光琳筆、それと酒井抱一筆である。いずれも金屏風の右端に風神、左端に雷神が描かれ、躍動感あふれる姿でにらみを利かす。宗達筆を光琳が模写し、それを抱一が写したという。だが、表情や筋肉の描き方、構図などが少しずつ異なっており、受ける印象はずいぶん違う
 
 今年は、宗達とともに琳派の祖とされる本阿弥光悦が、徳川家康から拝領した京都市北部・鷹峯の地に芸術村を開いて400年で、光琳の三百回忌にも当たる。京都では「琳派四百年」として、各美術館が企画展に力を入れている
 
 展覧会前の顔見せではないだろうが、このところ「風神雷神」が列島で大暴れである。前線が長く居座って、激しい雨や突風を各地にもたらしている。きのうは、首都圏などが台風18号の暴風雨に見舞われた
 
 神様を怒らせているのは、いったい何だろうかと考えた。新国立競技場や五輪エンブレムの白紙撤回か、それとも安倍晋三総裁への白紙委任か
 
 白紙を三つも繰り返す体たらくの政府や自民党への「雷」なのかもしれない。神ならぬ「仏の顔も三度」だから。