「杞憂(きゆう)」と書けば、「取り越し苦労でしょ」と、すぐさま返ってくるに違いない。でも知ってますか、元になった故事には、続きがあるのを
 
 心配でならない人と、それを諭した人と。杞の国の2人のやりとりを聞いた楚(そ)の賢者が笑ったそうだ。天は空気の層だから落ちてこないって? 空気は雨や風、雲や霧へと、常に姿を変えるではないか。<空気や土の変貌ぶりをよく知っている者ならば、天地は崩れないなどと、言えたもんじゃなかろうて>(「ひねくれ古典『列子』を読む」新潮選書)
 
 天地は崩れない、崩れる、どちらの言い分にも一理ある。列子は結論づけた。結局分かりもしないことで、悩んでもしょうがない
 
 偉大な思想家には失礼だが、この項には誤りがある。茨城県の鬼怒川の、津波のような映像に確信した。分かりもしない、ではない。心配して当然な確率で、天のふたは外れ、地が割れる現代である
 
 堤防の決壊を予期した人がどれだけいたか。あの場にいれば、筆者もきっと逃げ遅れていた。電柱にしがみついて助かった男性は、ただただ運が良かった
 
 有数の大河を抱えた徳島には、南海トラフ巨大地震の懸念もある。行方の分からない人たちの無事を祈りながら思う。意識を改めないと。警戒の水準をもっと高く、わが町の防災マップを再度、確認しておきたい。