「この畑で育つ大麻が天皇家の祭祀に役立てられるのは住民の誇り。収穫まで責任感と緊張感を持って作業したい」。美馬市木屋平の地元住民18人でつくるNPO法人あらたえ理事長の西正二さん(76)=元木屋平村長=が、三木家住宅(重要文化財)の南側にある約600平方メートルの畑を見渡しながら話す。
さらに「大麻作りには、まず地域住民の真心と実行力が欠かせない」と強調した。
天皇陛下が4月30日に退位し、皇太子さまが5月1日に即位した後、秋に行われるのが大嘗祭だ。天皇による初めての新嘗祭で、国事行為ではなく、皇位継承に伴う重要な皇室行事として位置付けられる。
大嘗祭では、新穀とともに阿波の「麁服(あらたえ)」と三河(愛知)の絹織物「繪服」が神座に祭られ、五穀豊穣を祈る。
このうち麁服は氏族「阿波忌部」が織った大麻の織物を指す。皇居東御苑に新しく建てられる大嘗宮の中心となる悠紀殿、主基殿それぞれの神座に「神のより代」として2反ずつ供えられる。
阿波忌部の子孫と伝わるのが三木家だ。「地域一丸となって滞りなく役目を果たしたい」。11月14、15の両日、皇居で行われる今回の大嘗祭を前に、28代目当主の三木信夫さん(82)は気持ちを引き締める。
務めは麁服の原料となる大麻の栽培と、大麻の糸で麁服4反を織り上げること。三木さんは皇居まで運ぶ一連の作業をまとめる立場で「御殿人」という特別な役職が与えられている。
大麻を育て、麻糸を紡ぐ作業には地元住民の協力が欠かせない。三木さんが御殿人と呼ばれる一方で、住民は「御衣人」と称される。天皇陛下が生前退位の意向を示すと、18人は2017年7月、NPO法人あらたえを結成した。
畑があるのは標高約550メートルの通称「三木山」。この時期でもじっと立っていると肌寒い。気温が平地より3~5度低いためだ。
西側は山が迫るが、他方は開けている。東に東宮山、南に権現山、北には高越連峰など標高千メートルを超える山々がそびえる。
阿波忌部の人たちは、なぜ不便な奥山に居を構えたのだろうか。
大麻は育ち過ぎてもよくない。茎の直径が大人の小指の太さ以上にならない、幾分やせた土地がいいという。西さんは朝夕の寒暖の差が大きいことや、日当たり具合などから大麻の栽培条件に適していたとみる。「阿波忌部は適地を探し求め、この場所を開拓したのだろう」
間もなく、大嘗祭に備えて会員たちは大麻の種をまく。畑の周囲には、2月上旬に完成した柵が張りめぐらされている。背丈より高い竹と金網で二重に囲った。麁服の原料になる特別の大麻ではあっても大麻取締法にのっとって栽培しなければならない。
監視カメラも設置した。会員は収穫期の7月上旬まで、交代しながら約3カ月間にわたり毎日24時間、畑を見守る予定だ。合言葉は「葉っぱ一枚も畑の外に出さない」。
大麻の成長は早く、収穫期には高さが2・5メートルほどになる。その後、熱湯で湯がき、発酵させて皮を剥ぐ。9月上旬、光沢を帯びた薄い黄褐色の大麻の繊維から麻糸を紡ぎ、織り上げ作業をする吉野川市山川町の住民団体に引き渡す。
約60年前に6500人いた旧木屋平村の人口は1割以下に減少。典型的な限界集落で、あらたえの会員のほとんども高齢者だ。栽培も監視も苦労しそうだが、西さんに悲壮感はない。
「大嘗祭がある年は注目を浴びてにぎやかになる。代々支えてきた住民も麁服の習わしを思い出す。皇室との深いつながりを絶やさないようにするため、力を合わせ、良質の大麻作りに励みたい」。情緒のある糸車で麻糸が紡がれる日を心待ちしている。