ハンガリーの国民的な詩人ペテーフィはうたった。<悲しみは/大海原ぞ/喜びは/その底にひそむ真珠/手にとりて われ/人の世の道すがら/あわれ こぼちける>(今岡十一郎訳)
 
 いつの間にか季節は、ちょいと考え事でも、という時候になりつつある。せっかく見つけた真珠もねえ。そう思えば陰鬱(いんうつ)とした気分になるものの、そんな気分も、何だかしっくりくる頃合いである。きょうは秋分の日。あすからは日々、夜の時間が長くなる
 
 しかし、ものは考えようだ。いにしえの中国に、こんな詩を詠んだ人がいる。<生年は百に満たず、/常に千歳(せんざい)の憂いを懐(いだ)く。/昼は短く夜の長きに苦しむ、/何ぞ燭(しょく)を秉(と)って遊ばざる。>(「中国名詩選」岩波文庫)
 
 千年分もの悩みを抱えてどうする。夜が長いだって? ならば明かりを手に楽しくやればいい-。どうせなら、こう行きたい。そもそも生年も、百を超す人が珍しくなくなった現代なのである
 
 きょうはシルバーウイークの最終日。やれやれ、あすからは…。いえいえ、前向きに、前向きに
 
 「仕事が楽しみなら人生は極楽、義務ならば地獄だ」。そんな文を残した人がいる。が、ものは考えよう。地獄もそれほど悪くないのでは。そう結ぼうとしたが、やめた。本当の地獄にあえぐ人が少なくない、格差の広がる現代なのである。