夜のつれづれに橘曙覧(たちばなあけみ)を読む。幕末の福井、国学者にして歌人。「たのしみは」で始まる連作「独楽吟(どくらくぎん)」で知られる
 
 万葉調の歌をよくし、正岡子規らからも絶賛された人である。どこか人を食ったところがあり、こんな歌も詠んでいる。<たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来たりて銭くれし時>。金が尽きて困っていたら、書か文か、思いもかけず報酬が入った時よ
 
 老舗の後継ぎだったが家産を弟に譲り、清貧の中で生きた。<たのしみはまれに魚烹(に)て児等(こら)皆がうましうましといひて食ふ時>。比べてぜいたくざんまいの現代だけれども、橘の感じたささやかな幸せを思えば胸が熱くなる。そうだね、と深くうなずきたくなる
 
 58人が死亡、5人が行方不明となった御嶽山(おんたけさん)噴火から1年が過ぎた。遠く去ってしまった人の不在の大きさを受け止めるには、遺族にとって、とても足りない1年だっただろう
 
 箱根に口永良部(くちのえらぶ)、桜島に阿蘇でも。列島は鳴動が続いている。火山の国でありながら防災体制は心もとない。国は対策を急ぐが、火山研究者の育成や避難計画の策定といった課題がいまだに山積みだ
 
 <たのしみは三人(みたり)の児どもすくすくと大きくなれる姿みる時>。平凡な家庭の平凡な幸せ。奪い去るのが災害だとすれば、抗していくには火山に限らず、非凡な努力が必要だろう。