昭和の終わり、取材旅行で中国・南通市の空港を利用した。戦闘機がタッチアンドゴーを繰り返す空港に外国人はほとんどいない。北京に向けて離陸した際、迷彩色の三角翼の軍用機を駐機場に見下ろした。だが、かばんからカメラは取り出さなかった
 
 軍用機を撮れば、取材済みの全てのフィルムを没収されたのは間違いない。背中に誰かの視線を感じたわけではないが、機中には不気味な緊張感があったのだ
 
 徳島大学と経済人でつくる徳島南通会と、南通医学院との学術交流の同行取材だったので、歓迎夕食会は乾杯の嵐。ところが、北京に向かうため一行と別れた朝、目つきの鋭い係官が部屋を訪ねてきた
 
 「これからどこへ行くのか」。「日中友好」と書いたスクラップを見せ、北京で開かれる日本の元首相の友好展覧会の取材だと言うと、ようやく彼は帰っていった。こんな経験の後、軍用機を撮影できるわけがない
 
 それから約30年。上海で6月、スパイ活動を取り締まる部局に日本人女性が拘束された。他に複数の日本人も拘束されている。詳しい容疑や落ち度の有無は分からないが、今も注意が必要なのだろう。どこに監視の目があるか分からない
 
 「李下に冠を正さず」「瓜田に履(くつ)を納(い)れず」。あれこれ気を回しながら、中国4千年の悠久の歴史をたどるのは、旅情に欠ける。