「一粒の麦」-。新約聖書、ヨハネによる福音書の一節にある。<一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶ>。山橋衛二さんと盲導犬ヴァルデスの死を再び考える
 
 山橋さんはバックしてきたトラックにひかれた。警報音のスイッチは切られていた。現状では違反でない。そもそも装置の取り付けは義務化されていない
 
 それでは、危険回避に音が頼りの視覚障害者をはじめ、高齢者や子どもといった交通弱者の安全が守れないのではないか。事故を機に、そんな声が高まっている。法整備を求めて、徳島県は国土交通省や警察庁に提言書を提出した
 
 一人の視覚障害者の死で、初めて事の重大さに気づいた不明を恥じる。困難を抱えて生きる人たちを気遣う気持ちが、あと少しこの社会にあれば、事故は起きなかったのかもしれない。山橋さんに「一粒の麦」の役割を強いたのは誰か
 
 音がうるさいというのなら、代わりに後ろを確認するモニターを義務付けるなど、いろいろな工夫ができるのではないか。さほど難しいこととは思えない
 
 車いす対応のトイレが一気に広がったように、それほど冷たい社会でもない。足りないのは、もうあと少しの優しさだろう。困難を抱えているのは視覚障害者だけではないはずである。