JRの忘れ物には「骨つぼ」まであると以前、話題になったことがあった。「ピンときたね。遺族も扱いに困ったんだろう」。知り合いの元患者は言った。死んでも故郷に帰れない、それは過酷な病だった
 
 特効薬ができた戦後も、なお続いた隔離収容政策が、言われなき差別を温存し、ハンセン病の元患者と家族を苦しめたことは疑いがない。2001年、元患者が起こした裁判に敗れた国は、誤りを認めて謝罪した。それでも、故郷への道は遠かった
 
 「病人を出した家と分かり、家族が差別されたら」。心配する声は絶えなかった。また、ある元患者は「死んだことになっているから」
 
 国が断ち切った絆を、結ぶ努力をしたのは人である。県ハンセン病支援協会の十川勝幸会長(75)も、その一人だ。誰しも認める無類の熱心さ。18年前、県幹部として訪れた療養所で聞いた、諦めにも似た一言に、今も突き動かされているのだという。「やがて私たちは消えてゆきます。このままそっとしておいてもらって結構です」
 
 脚本を担当する阿波市の劇団「千の舞い座」の人権劇も、きのうの石井中学の公演で100回目。舞台の上で役者は叫んだ。「こんな悲しいこと、もう絶対にあってはならない」。飾らない言葉が胸を打った
 
 徳島県関係者は全国5療養所に24人。平均年齢は80代半ばだ。