殺すな、盗むな-。おしなべて説いている。少なくとも世界宗教とされる教えで、殺人や盗みを大っぴらに奨励している例は、寡聞にして知らない。それなのに、神を語る殺りく者が絶えないのはなぜだろう
 
 十字軍との聖戦というけれど、そんなことを気取ってもらっちゃあ、困る。「殉教」のヒロイズムに酔っているのだろうが、勘違いも甚だしい。君らがやいばを向けたのは、その場にいたというだけの、無関係の人たちじゃないか。そんな「殉教」があるか
 
 若者の、高齢者の、親の、子の、夫の、妻の、友人の・・・。人生を奪った一人一人と向き合って、責任を取ることはできまい。引き金に指をかける前も、その後も、自分で背負うべき責任を、他の誰かに押し付けてはいけない
 
 「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と叫ぶ詩がある。そうすれば<あなたの涙>や<きみの痛苦>の意味も分からず済んだのに、と(田村隆一「帰途」)
 
 そんな「言葉」をかき消す不誠実さが、この世界には確かにある。君らが倒れても、後継者を生み出さずにはおかない不当な格差がある。力こそ正義といった考えが、大手を振って表通りを歩いていることもまた、残念ながら事実だろう
 
 だからといって君らこそ正義という神が、どこにいるか。無差別大量殺人を正当化する神が、どこにいるか。