小学生の頃、プロ野球なら巨人がめっぽう強かった。王、長嶋両選手を擁したV9時代、人気もずばぬけていた。朝の教室は、きのうの巨人の話ばかり。カークランド選手の三振に涙した虎党は、ほかに数えるほどだった
相撲なら北の湖関。中学1年、13歳で初土俵。最年少の21歳2カ月で横綱に昇進した。組んで良し、離れて良し。右上手を引いた時の強さは圧倒的で、猫だましなど想像もできない、これぞ横綱という相撲を見せた
その強さが人気に結びついてもおかしくなかったが、大方の小学生は輪島関や貴ノ花関をひいきにした。あの風貌ではね、と子どもながらに思った。巨大な敵役として土俵に君臨し、強さは「憎らしさ」に変わった。「負けて」との声も飛んだ
実際は、イメージとは逆の優しい人だったそうだ。「冗談ばかり言う話し好き」といった面もあった
1985年の初場所、引退の記者会見。「苦しかったことは」との質問にこう応じた。「特にありません」。誰もが「うそ」と分かったという。横綱北の湖の美学、責任感をうかがい知ることのできるエピソードである
相撲協会理事長に返り咲き、不祥事で離れたファンを呼び戻せたのも、その人望のなせる業だろう。体調不良を押して出勤した九州場所12日目を限りに「昭和の大横綱」は永遠の休場となった。
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