「男は引き際だ」とよく言われるが、女も引き際だ。つくづくそう思わせるのが原節子さんだった。大女優、名女優、不滅の大スター、永遠の処女。そんな言葉とともに、銀幕が原節子をなくした喪失感がこの半世紀、私たちの心に空洞を生んでいたように思う

 原さんは戦後、黒沢明監督の「わが青春に悔なし」で、苦難のうちに敗戦を迎えるヒロインを好演した。今井正監督の「青い山脈」では知的な明るい先生役で、戦後の民主主義のはつらつとした空気感を体現した

 特筆すべきは小津安二郎監督作品での名演だ。「晩春」「麦秋」「東京物語」で、美しく慎み深い女性像を見事に演じた。原さんがいなければ、随分と趣の違う作品になっていただろう。小津さんに天が与えた無二の女優だった

 1962年、原さんは「忠臣蔵」で大石りくを演じたのを最後に42歳で引退した。もし、その後の原さんの長き不在がなければ、幾多の味わい深い映画が誕生していたのに。せんないことと分かっていながら、そう思わせる、何という不在の重さ

 突然の訃報に接して、数々の名演技が、まぶたの裏によみがえった人も多いだろう。原さんは自ら輝かしい女優生活に幕を引いて見せたが、その生涯に天が幕を下ろすまで、女優だったと思われてならない。心の中で演じた役柄はいくつもあろう。