本名の「茂」がうまく言えず「げげる」になってしまう。付いたあだ名が「ゲゲ」。そんな幼い頃から、好きなことには、とことん熱中せずにいられなかったらしい。「ゲゲゲの鬼太郎」の父、水木しげるさんが急逝した
その程度が人並み外れた、自他共に認める変わり者だった。当然、軍隊との相性はすこぶる悪い。戦中、陸軍の一兵卒として送られた激戦地パプアニューギニアでは「ビンタの王様」と呼ばれた。無論、殴られる方である
爆撃で左手を失った。飢えに苦しみ、誰にみとられることもなく、戦友は死んだ。南海の楽園で見た地獄を、生きたくても生きられなかった若者たちの思いを、「総員玉砕せよ!」に描いた。問われれば、最も愛着ある作品に挙げた
<第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。第二条 しないではいられないことをし続けなさい…>(「水木サンの幸福論」角川文庫)。生と死の極限を知る水木さんが、かつて記した幸福の7カ条である
第七条にある。<目に見えない世界を信じる>。自然や生命を敬うことを忘れ、妖怪すら生きられないような社会では、人も幸福になれるはずがない
徳島ゆかりの妖怪、子泣き爺はいまだ健在か。本当に大事なことは何か。見えないものに姿を与えて旅立つ人の、そんな声が聞こえる。