無謀な戦争というけれど、それも後付け。国民の多くはみじんも思っていなかったに違いない。空気なるものの怖さである。1941年のきょう、太平洋戦争は始まった
本紙の前身・徳島毎日新聞も、さっさと交渉を打ち切れ、と激越な調子で筆を振るい開戦を促している。国民総生産比で10倍以上。アメリカの国力は、日本をはるかに上回っていると知りながら
南部仏印進駐で、8月には石油の輸入を止められた。備蓄は2年で尽きる。生産力の差は大きく、軍艦や戦闘機の保有数もすぐに圧倒されよう。それに欧州を見るがいい。盟友のドイツの進撃を。やるなら今だ
不利な数字も有利に読み替える、歴史は良くも悪くも楽観主義者が変えるのだろう。空気の中で知性は弱い。一流の知識人とて例外ではない。開戦を祝すこんな文章がいくらでも残っていると、歴史家半藤一利さんが「そして、メディアは日本を戦争に導いた」(東洋経済新報社)に書いている
<勝利は、日本民族にとって実に長いあひだの夢であったと思ふ。即(すなわ)ち嘗(かつ)てぺルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈(かれつ)極まる返答であり復讐(ふくしゅう)だったのである>(亀井勝一郎)
時代の空気に敏感であれ。ただ、のみ込まれはしない。戦争をあおった末裔(まつえい)の、きょうは自省の日でもある。