小欄の名称が「鳴潮(めいちょう)」になったのは、70年前の1946年元日。1面には昭和天皇の日常を伝える写真と左に天皇陛下が自ら神格を否定した詔書、いわゆる「人間宣言」が並ぶ

 詔書の上には連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の年頭声明。詔書よりも大きな活字が戦勝国の立場を映してうたう。「日本の大衆にとっては今や自ら統治する権利があり、又すべて自らなすべき事をなさねばならぬとの事実に目覚める事が必要である」

 下部の小欄は、初日の出を枕に「さてその民主主義とは何?と訊(き)かれてはっきりと答えられる人間がどれだけある?」と問い掛ける

 今も、民主主義とこの国の在り方が問われ続けている。時の政権が戦後の安全保障政策の大転換を図る時代に、私たちが遭遇したのはむしろ幸運かもしれない。大衆が後世に責任の持てる選択ができるからだ

 小さき身ながら、権力者の専横に怒り、県民と泣き笑いを共にしてきた小欄は戦時中の44年6月1日、本紙創刊と同時に「爆音」の名で誕生。その後、一時「遍照」を名乗った

 <門松は冥土(めいど)の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし>一休宗純。いずれ冥土へと旅立つ、はかない身ならばこそ、世の平穏を祈らずにいられない。平和の潮流よ、鳴門の渦潮のように、力強く未来へと流れよ。心ある国民の声を乗せて。