<母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?/ええ、夏碓氷(うすひ)から霧積(きりづみ)へ行くみちで、/谿谷(けいこく)へ落としたあの麦稈(むぎわら)帽子ですよ>

 詩人西条八十の「帽子」は、ベストセラー小説「人間の証明」(森村誠一著)で謎解きの重要な鍵ともなった。スキー場へ向かう大型バスが事故を起こしたのは、その碓氷峠にも近い長野県軽井沢町、碓氷バイパス入山峠付近

 前夜、午後11時に東京・原宿を出て約3時間。多くは寝入っていただろう。乗客は10~20代の若者ら39人。「激安」と銘打たれたツアーの参加者という

 <母さん、あれは好きな帽子でしたよ。/僕はあのとき、ずいぶんくやしかつた、/だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから>。「僕」が落としたのは麦わら帽子だが、10人を超す若者が訳も分からぬうちに失ったのは、二つとない命である

 運転手に健康診断を受けさせていなかったなどとして、バス会社は13日に行政処分を受けている。繰り返される事故に規制は厳しくなったものの、業界の人手不足で過労運転が続いている、との指摘もある

 今回も運転手の体調はどうだったか。原因を徹底究明し、新たな事故の芽を一つでも摘み取っていかねば。生きられたはずの時間を奪われた若者の悔しさを思えば、胸が詰まる。彼らはもう二度と、「母さん」と呼べはしないのである。